著作報酬配分の市場化

著作権という制度はビジネスモデルと一体で、この権利が作られたのはコンテンツの供給者への報酬を確保するためだろう。しかし情報技術が発展した現代では、情報のコピーを著作権で縛るのではなく、情報の自由利用を前提としたビジネスモデルにしたほうが効率がいいのではないか、という話がある。


しかしそういう新しい仕組みはなかなか普及しない。その原因のひとつには、コンテンツの作り手に報酬をどう配分すればよいかという問題があるだろう。コンテンツそのものに対しては直接お金が支払われない状況で、どの作り手にどの程度の報酬を配分すべきか。この権利の処理はどのような仕組みであるべきだろうか。

誰がどの程度の報酬をもらうべきかわからないとき、その情報処理をひとりの考えやひとつの画一的な基準で行うのではなく、評価をみんなですることで報酬配分が結果的に決まる、というのが市場の特徴だ。つまり、みんなで作り手に評価を与えることで、作り手を市場化するのが一番合理的ということになるのではないか。

しかし今度は、そういう消費行動のハードルが高い、そんな習慣が人々にないということがネックになる。消費者にわかるのは、せいぜい「どのコンテンツが良いと思ったか」という程度のもので、「このコンテンツの作者及びプロデューサーにこういう割合で評価しよう」などという判断を求めるのは非現実的だろう。やはりコンテンツを通して判断するしかない。コンテンツにお金を支払わずして、コンテンツの評価を疑似的に市場化する方法はあるだろうか。

例えば、動画サイトがユーザーひとりに対して無償で1ヶ月につき120票配布する。この票はコンテンツに対して投票することができ、どのコンテンツに何票いれようがユーザーの自由だ。票に応じて報酬配分が決まることを前提に、「投票しなかった分はサイトの運営が総取りします」とでもアナウンスすれば、サイトの運営を信用できないユーザーほど、自分の払ったお金を誰に渡すべきか真剣に考えるようになるのではないか。このようにインセンティブを与える設計は、アメリカのNGO税制でも採用されている。
※関連というか一部コピペ→投票できるコンテンツサイト - orihalu’s diary

こうしてコンテンツに投票する制度であれば、コンテンツを無料で見ることとコンテンツの評価を市場化することが両立できる。こういうプラットフォームでは、デジタルコンテンツは無料で公開し、なるべく多くの人に見てもらうのが票を集める一番良い方法になるだろう。作り手にとって、票を集めること自体がマネタイズの手段になるので、課金しなければ見られないコンテンツは票を集めにくい分不利になるかもしれない。そうなれば、マネタイズのための行動がそのまま、情報の自由な流通を促進するシステムだと考えられる。